2011/08/12

なんで青い森って地名になったのか青森ににいってわかったよ









突然だけどこの写真好き!(自分で撮ったんですけど)(そしてブログに載せるの荒木に許可とかとってないけど)(そしてそして全然青森っぽくないけど)ライティングの感じとか荒木の表情とか好きです。
















青森にいってきました。ねぶたを見に。


行ったことのないところ、見たことないもの、したことのないこと、冒険するのはいつまでたっても楽しいものです。









2011/06/29

記憶の神経衰弱

ばあちゃんが病院を移ったというので、また実家に帰ってきた。
まだ体はおぼつかないけれど、だいぶ元気になったみたいで少し安心。

実は、ばあちゃんは少し前から認知症になっていたということも最近知り数年前にばあちゃんが入院した時のことを思い出した。

親しかった親類の人が亡くなってしまったショックで寝込んで体調を崩して、手術したあとの麻酔の影響とショックとで軽い記憶喪失になってしまったことがあった。言葉はしゃべれて触ると体のここが痛いっていうことはいえるけど、わたしのこともわからないし昔のこともどうだったか思い出せないような状況になってしまって「先週の◯◯さんからの返事どうだった?」なんて聞いても「ばかなっちゃったね、わからないのよ。」って悲しげに返事するだけで会話が成立しなくなっちゃったのには衝撃を受けた。

その時初めて、言葉を返すのもぜんぶ記憶の連想でキャッチボールしてるだけなんだってことを目の当たりにして、考えりゃ当たり前なんだけど、どんなにリアリストであれ結局、人は記憶っていう曖昧なものの中でしか生きられんのだなぁとか妙に納得してしまった。同じ体験をして記憶のすりあわせをしないと人間どうなってしまうのだろか?わたしだったらどんどん自分の都合のいい過去しかなくなりそう。



なんで考えたけど、ばぁちゃんが早く元気になりますように!これが一番大事。



2011/06/09

ばあちゃんの話




ばぁちゃんが入院した。
手術をすると聞いたのは手術前日で、なんだかんだで会いに行けたのは手術が終って2、3日経ってからだった。勝気で努力家なばあちゃんのことだったからピンピンコロリだなんて思っていただけあって、急な手術の話を電話ごしに聞いたときは心臓が縮こまった。

病院に行くとばあちゃんはベットで寝ていて、手術の麻酔のせいで意識が朦朧としているばあちゃんの姿がわたしの目の前にくっきりと横たわってきた。


私は幸運なことに、人生の中で入院生活を送ったことはないのでお見舞いで病院に通うくらいだけれど、いつも病院に行くと外の世界がどれだけ暴力的に身体を無視しながら生きているのかを思い知って病院をあとにするのだけれど、病院を出たあとだとその眩しすぎる生命力に憎悪すら感じる。まぁそうでないと「普通に」は生活できないし、わたしも病院を去って1週間もするとそんなことも忘れて普通の生活に戻るのだけど。




病院から帰る車で父は「もってあと一年だ」と自分に言い聞かせるようにぶっきらぼうにいったので、言われた最初なんでそんなこと言えちゃうんだよ!って思ったけど、そういって他人に言い聞かせてないと父自身がやってられないのだろうと察して無言の返信をしといた。




それにしても看護師さんの小さい子に話しかけるような妙に馴れ馴れしい喋り方には虫酸が走る。



2011/05/22

母の日を経て

電車に乗ればサンダルを履いている女の人を見かけることが多くなって、初夏がきているのに気がつく。焦る。

昨日、3年ぶりくらいに美容院にいった。「どんな髪型にしますか?」と聞かれて、思い切ってばっさり切ってしまいたい衝動にかられたけれど、中学生の時に短くして失敗したときのトラウマやら、こういう所で思い切りが良くない性格やらで結局パーマだけかけた。美容院にいってすっきりするつもりが、逆にもやっとして帰宅。(すごくいいお店だったけどね。)


少し経つが、5/8は母の日だった。今年の母の日には何も贈らず、電話をした。
365日の中の1日だけ、感謝の意を表した送りものをするくらいだったら、毎日電話をして声を聞くほうがよっぽど意味があることなんじゃないかと思う。なんて、偉そうなこといってみたけどこれが一番難しいんだよなー。

2011/02/22


旅行から帰宅して
オンジが魔法使いのようにみえたよ。

2011/02/13









独り言は独り言らしく、心のなかでつぶやきなさいな。













2011/02/10

にぶんのいちの彼女

都会にもやっと雪が降ったのをみた。

でも、カマが言っていたように都会の雪は神様のフケぐらいしか降らなくて、なんだか拍子抜けだった。もっと身体いっぱいに冬を感じたいのにな。東京ではちいさな季節の変化も意識的にとらえないと季節の感覚をなくしてしまう。にょきにょきとはえたビルは私から、空を見上げることをすっかり忘れさせてしまった。

帰りの電車で、ちいさな女の子が私の隣に座った。女の子は身体がシートにすっぽりとおさまってしまうくらいで、手なんて私の四分の一くらいしかなかった。久しぶりに子供を見たせいか、「あーこんなにちいさくても生きているんだな」と妙に納得。これもきちんと感じておかないとすぐに忘れてしまうかもしれない。


電車から降りるとき髪の毛からふわりと冬の匂いがした。